日本人と海藻
   我々日本人は古来より海藻を様々に利用して生活してきました。
 それは、我々日本人の味覚に合っていたと言うだけでなく、体が海藻を欲していたのだとされています。
 我が日本の国土はカルシウム質が少なく、水、農作物だけでは充分なカルシウムを補給することが出来ませんでした。(一般に欧米等では、水や農作物にカルシウムが充分含まれているため、カルシウム不足は起こりにくいといわれています。)
 そこで、先人たちは海からの収穫物でカルシウム不足を補ってきました。
 しかし、内陸部では新鮮な魚貝類の入手が難しく、そこで、保存に適した海藻が食べられるようになったといわれています。
縄文・弥生時代
遺跡の発掘物から、縄文人や弥生人はヒジキを食していた。
猪目(いのめ)洞窟(島根県出雲大社近く)
アラメやホンダワラ類の海藻が発掘河洞遺跡(高知県宿毛湾)
ヒジキらしき海藻が土器片に付着して発掘
奈良時代
 神への供えもの「神饌」として使われていたことから、一般庶民はともかく、支配階級の人々は、ヒジキを食していた。
 「神饌」は古代のまま現在に受け継がれ、伊勢の神宮、京都の石清水八幡宮、賀茂神社を始め、多くの神社の神饌には海藻は欠くことができない存在となっている。
 現代でも伊勢の神宮では日毎朝夕大御饌祭(朝夕のお食事)で2日に一度の割合で供されているそうです。
 平城京から発掘された木簡に、当時の調(税金の一種)として海藻が時の朝廷に献上されていたことが記されています。
 その海藻と書かれた木簡48枚の内なんと22枚が伊勢志摩からのものだったそうです。
平安中期
 紀伊守が天皇に献上した山海の珍味に海藻が含まれていたことから、海藻の食品としての価値は極めて高くなった。
鎌倉・室町時代
 古代に比べ洗練された形で用いられ、海藻料理は併用される材料も高級になり、見た眼も美しく、海藻の色、香味などが活かされたものとなる。
戦国時代
 海藻は戦場で盛んに食された。加藤清正の熊本城の壁には籠城用食糧として、アラメがぬり込まれていたと言う。
江戸時代
 品川ノリ、浅草ノリが江戸の街に磯の香りを運び、伊勢ヒジキ、伊勢アラメ、日高コンブ、鳴門ワカメという名産品も出回るようになり、一般庶民も食するようになる。
日本人とひじき
   最古の記録では、延喜式に朝廷への貢納品として選ばれたことが記されています。

 徳川三代将軍家光の時代(寛永二十年)に書かれた料理書『寛永料理物語』で、ひじきの調理法は「にもの、あへもの」と記され、当時既に現代と同じような料理法で食べていたものと想像できます。
伊勢ひじきの歴史
   寛永十五年(1638年)発行と言われている『毛吹草』(俳人のため季語や各地の名産品を紹介している当時のガイドブック)に既に伊勢の国の名産品として鹿尾菜(ひじき)≠ェ紹介されています。

 良質のひじきの生息地 志摩地方より海路約三十里、三重県伊勢市北部(旧度会郡北浜村)周辺は、かつて鳥羽藩領だったこともあり、又、ひじきの加工に必要な、真水・水捌けの良い土地・広い干し場・風があり、雨が少なかった ことなどから、この地でひじきの本格生産が行われるようになりました。

 当時産地の名が冠される海藻はその品質が優良なことで知られていたようです(日高昆布、浅草海苔、鳴門若布等)。