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日本人と海藻 |
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我々日本人は古来より海藻を様々に利用して生活してきました。
それは、我々日本人の味覚に合っていたと言うだけでなく、体が海藻を欲していたのだとされています。
我が日本の国土はカルシウム質が少なく、水、農作物だけでは充分なカルシウムを補給することが出来ませんでした。(一般に欧米等では、水や農作物にカルシウムが充分含まれているため、カルシウム不足は起こりにくいといわれています。)
そこで、先人たちは海からの収穫物でカルシウム不足を補ってきました。
しかし、内陸部では新鮮な魚貝類の入手が難しく、そこで、保存に適した海藻が食べられるようになったといわれています。 |
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日本人とひじき |
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最古の記録では、延喜式に朝廷への貢納品として選ばれたことが記されています。
徳川三代将軍家光の時代(寛永二十年)に書かれた料理書『寛永料理物語』で、ひじきの調理法は「にもの、あへもの」と記され、当時既に現代と同じような料理法で食べていたものと想像できます。 |
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伊勢ひじきの歴史 |
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寛永十五年(1638年)発行と言われている『毛吹草』(俳人のため季語や各地の名産品を紹介している当時のガイドブック)に既に伊勢の国の名産品として鹿尾菜(ひじき)≠ェ紹介されています。
良質のひじきの生息地 志摩地方より海路約三十里、三重県伊勢市北部(旧度会郡北浜村)周辺は、かつて鳥羽藩領だったこともあり、又、ひじきの加工に必要な、真水・水捌けの良い土地・広い干し場・風があり、雨が少なかった ことなどから、この地でひじきの本格生産が行われるようになりました。
当時産地の名が冠される海藻はその品質が優良なことで知られていたようです(日高昆布、浅草海苔、鳴門若布等)。 |
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